
Written on: 2026/04/20
世界一周の最初の国として、私は中国・上海へ向かった。
昨今の日本では、中国渡航を不安視するようなニュースや情報を耳にすることが多い。私自身、日本人一人で現地に向かうことに全く不安がなかったわけではない。しかし、それ以上に「実情を自分の目で見たい」という好奇心が勝った。経済規模世界第2位を誇る都市のシステムや、そこに暮らす人々の姿を、情報のフィルターを通さずに体感したかったのだ。
実際に現地を歩いて感じたのは、食文化の豊かさと人々の温かさだ。食べ物は驚くほど安くて驚美味しく、言葉が通じない私に対しても、現地の人は不器用ながら一生懸命に意思疎通を図ろうとしてくれた。その姿に、ステレオタイプなイメージではない個の温かさを感じた。また、日本や他の地域と比較しても外国人観光客が明らかに少なく、都市としての魅力が(政治的な背景はあれど)過小評価されているのではないか、とも感じた。
一方で、日本で約20年暮らしてきた私にとって、独特の違和感があったことも事実だ。街中の至る所にある監視カメラ、駅構内の手荷物検査、そして随所に配置された監視員。これらは、これまで訪れたどの国とも異なる特異な光景に映った。
特に興味深かったのは、その"見せ方"だ。監視カメラは隠されることなく、むしろ「見ているぞ」と言わんばかりに堂々と、かつ大量に配置されている。これは、現地の人々の非常にストレートで直接的な気質とも通じているように感じた。
上海の街を歩いていると、人々は日本人よりもずっと直接的に意思を伝えてくる。声は大きく、主張ははっきりしている。そうした曖昧さを排除したコミュニケーションが主流の文化においては、ルールや監視の在り方もまた、日本のような"空気を読む"とか"暗黙の了解"といった曖昧なものではなく、誰の目にも明らかな視覚的な規律として提示される必要があるのかもしれない。
特に印象的だったのは、観光地・外灘での交通整理だ。人民解放軍が手をつなぎ、「肉の壁」となって歩行ルートや速度を制限する様子は、国家の統治体制を象徴しているかのように感じられた。物理的に、かつ直接的に人の流れを制御する。この徹底した"わかりやすさ"こそが、この国独自の規律の在り方なのだと感じた。
これは善悪の議論ではなく、あくまで私が普段暮らす日本との文化や仕組みの違いとしての感想だ。日本では警察が担うような役割を軍が担う。その光景に、私はこの国独自の秩序の保ち方を見た。
いわゆる"資本主義・民主主義"で暮らしてきた人の中には、こうした厳格な管理に息苦しさを覚える人もいるかもしれない。しかし、その管理の先にある現実はどうだろうか。街にはゴミが落ちておらず、道中で身の危険を感じるようなこともない。現地の人々は、私が日本で見てきた人々と同じように、穏やかな日常を謳歌しているように見えた。また、ふと「これほど徹底した監視や管理の仕組み自体が、膨大な人口を抱えるこの国において、少なくない割合の雇用を生み出しているのではないか」という考えも頭をよぎった。
歴史を紐解けば、この広大なユーラシア大陸は、多様な民族や文化が群雄割拠し、統一と分裂を繰り返してきた。多種多様な思想や背景を持つ人々を高水準な状態でまとめ上げるには、こうした強固な統制こそが、この地における一つの最適解なのかもしれない。
例えば、エスカレーターで列を作らないことや、電車の乗り降りに明確な順番がないこと。それらも優劣の問題ではなく、歴史や気質が作り上げてきた文化の一部なのだと思う。郷に入っては郷に従う。私はそこに異論を唱えるつもりはない。ただ、14億人という想像を絶する規模の国家を維持し、成長させ続ける。そのための一種の答えが、この直接的で強固な管理システムなのかもしれない。
上海の街を歩きながら、私は国家という巨大なシステムの、一つの側面を見た気がした。

外灘(バンド)近辺にて。振り返れば上海の象徴であるテレビ塔が望めるが、今回あえてカメラを向けたのは歴史ある銀行が立ち並ぶ側。その重厚な佇まいに、アジア屈指の金融街としての熱量を感じた。

いわゆる「ワンホンメイク」に挑戦。普段は化粧もしない、ましてや中国語も話せない日本人男性の登場に、最初こそ困惑されが、最後は見事な技術で仕上げてくれた。